Adam Matz

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人生の大半を一つの国で生活する大部分の人々からすれば、故郷を離れ、これからの未来を自分が生まれ育った環境とは全く異なる場所で歩むなど想像すらできないことでしょう。

現在、東海国小(東海小学校)で英語教師をしているAdam Matzは、フルブライト・プログラムの紹介で台東に赴任していますが、1999年に初めて台湾を訪れたAdamは、台湾と切っても切れない縁と結ばれていたのです。

「その頃、ちょうど卒業して間も無く、仕事を探していたんです。韓国、台湾、そして中国の3つの国が選択できたんですが、そこで台湾を選びました。」Adamは「韓国と私の故郷、シアトルはすごく似ていて、ドキドキ感や特別な場所もなかったので、台湾に来ようと決めたんです。」とゆっくりと話してくれました。

台東以外にも、台中や新竹などに住んでいたことがあるAdamですが、初めて台東に足を踏み入れた時の印象は「すごく田舎だ」でした。2006年に台東に来た時は、英語の標識が少なく、「中国語が全くできない外国人からしたら、旅行がとても不便だ」と思ったそうです。幸いなことに、Adamは東海大学で中国語課程を修得していたため、言葉のコミュニケーションもスムーズで、中国語の読み書きもある程度できたので、台東の地元の生活に馴染むまで時間はかかりませんでした。

 

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「ランニングが好きなので、何度かマラソンに参加したことがあります。」アウトドア派の人ならば、サイクリングやランニングなどが楽しめる台東で暮らせる事は、幸せなことです。「西部のマラソンに参加したこともあります。もちろん、楽しかったんですが、PM2.5の影響があるからね」とユーモラスに話すのも彼の個性です。子供たちも、こんなユーモアたっぷりの彼の授業が大好きです。Adamは台湾に来てから、ずっと英語を教える仕事に従事しています。2011年と2013年には、台東の子供たちとマイクロソフトの会社の「Partners in Learning」に参加し、グローバル教育フォーラム賞を受賞しました。これは、山の向こう側に住む台東の子供たちでも、優秀なパフォーマンスができることを意味し、子供たちの大きな自信にもなりました。

「台東は、世界で一番美しい場所の一つです。」

Adamは、リゾート地のハワイと台東を比較して「ハワイは、お金がかかるし、人口密度も高すぎます。でも、台東は違いますね。山や海が見たければ、お金も時間もかけずに見られるので、観光旅行の発展場所にはもってこいの場所です。」とマイペースに話してくれました。彼の話からも分かるように、初めは田舎だと思っていた場所が、実はとても美しく、探索するに相応しい場所でもあったのです。

運動の習慣の他にも、Adamは「Taiwan Style西方與東方的巧遇」というブログをやっています。ブログには、彼の台東生活の出来事が感情豊かに記されているだけでなく、台東の旅行の地元ならではの情報が中国語と英語で書かれています。多くの外国の旅行者が「台東」というキーワードを検索して、彼のブログを見て、台東観光の質問をするそうです。なかには、彼を「台東通」として旅行と全く関係のない質問をする人もいるそうです。

「もし、台東がグローバル化をするなら、英語環境を作ることがとても重要です」とAdamは真面目な表情でこの結論を述べています。中国語ができる外国人にとっては、台東の生活はとても快適な生活ですが、Adamの外国の友達のほとんどは中国語が分からず、少しばかり不便なところがあると言います。例えば、英語しかわからない人がレストランに行って注文しようとすると、メニューが何かの呪文見えてしまうなんてこともあるそうです。Adamにとって、台東はどのリゾートよりも素晴らしい場所ですが、彼は、外国人の立場からアドバイスをして、台東の面白さを伝えたいと願っています。

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Adamのブログを訪問して、彼の台東生活を見てみよう!

http://acidolphilus.blogspot.tw/

 

 

YaSu屋–峯雪康弘

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北は台湾・花蓮県富里鄉、そして、東北は台東県成功鎮と連結する東河鄉は、東河包子で有名ですが、それ以外にも、近年では東海岸国際サーフィンコンテストが開催され、サーファーの人気スポットにもなっています。

 

3年ほど前に友達と一緒に日本から台湾・東河へサーフィンをしにやって来た峯雪康弘(Yasu)氏は、それからたった4ヶ月の間に台湾・台東に移住する決意をしただけでなく、東河鄉で日本式の居酒屋もオープンさせ、この地で毎日、波と共に笑顔で日の出や日没を迎え、今ではすっかり東部の生活に馴染んでいます。Yasuは「ここ3、4年の間で、台東のサーフィンはますます有名になり、雑誌にも紹介されるようになりました!」と話してくれました。また、日本にもサーフィンができる場所はあるけれども、日本の冬の海水温度が0度以下ととても低いので、日本のサーファーは、近場で暖かい場所にあるサーフィンスポットへサーフィンをしにくると説明してくれました。その場所こそが、台東・東河なのです。

 

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Yasuは、日本にいた頃に飲食店で働いていたことがあり、居酒屋で働いていた経験もあったため、東河で居酒屋をオープンさせようと考えたそうです。また、Yasuが「冬になると、東河は99%日本人です!」と言うように、冬になるとたくさんの日本人サーファーが東河に訪れること、そして何よりも「日本語ができるオーナーの日本の創作料理を提供する居酒屋は、日本の旅行客に親近感と安心感を与えられる」と真剣な表情でその思いを話してくれました。

この地では、毎年10月から翌年の3、4月までは東北モンスーンが吹き、日本からのサーファーが後を絶ちません。Yasuの日本語のウェブサイトとブログの影響もあり、彼の経営する居酒屋は冬になると朝から晩までいつも大忙しです。Yasuは、朝は地元ガイドやサーフィンコーチをして日本人観光客を一番良いサーフィンスポットまで連れて行き、東海岸線の美しさを思いっきり楽しんでもらいたいと、山や海の楽しみ方も紹介しています。日中に思いきりアウトドアを楽しんだ後は、彼の居酒屋でお任せメニューで素敵な夜を楽しめます。

Yasuは「この居酒屋の食材は、当日の朝に成功漁港から買い入れた食材です。僕は、冷凍の魚類が好きじゃないので、少し変わった地元の海鮮を使って料理をしています。」と話しながら「これは、滅多にみられない石頭公(カサゴ)です。棘には神経を麻痺させる猛毒がありますが、魚肉にはコラーゲンがたっぷりあってすごく美味しいんです。魚は、姿かたちが気持ち悪いほど美味しいんですよ!」とその日の戦利品を見せてくれましいた。まるで怪物のような形相の魚からは、グルメ料理になるとは全く想像もつきませんでしたが、その時のYasuは既に包丁を研ぎ終わっていて、地元グルメである石頭公を美食家のディナーに振舞う準備をしていました。

波のない季節に日本の友だちがこの地に訪れれば、Yasuは温泉へと案内しています。Yasuは「最近、日本の番組で栗松溫泉が紹介されて、日本でも結構有名なんです」と話してくれました。冬はサーフィンの季節だけれども、夏は良い波がない東河鄉ですが、わざわざ台風を追っかけてくる日本人サーファーもいるそうです。「台風が台湾に来ることがわかると、その台風を追いかけて来るんですよ。波が大きくて、すごく刺激的なんですけど、でも、安全第一ですから!」とYasuは笑いながら話してくれました。

 

台東に定住したYasuは、日本人サーファーの癖や習性を熟知しています。しかし、交通の制限があって不便なこともあり、たくさんのサーファーが台東へのサーフィン旅行の計画に頭を悩ませていることも知っています。「台東へ遊びに来る日本人は、まずウェブで台東へ遊びに来たことのある人のブログや口コミなどを見て、タクシーで来たり、バスで来たりしています。」

しかし、バスの本数が少なかったり、小型バスではサーフボードを持ち込めなかったり、バスの時刻表だけでは大型バスか小型バスかがわからなかったりして、待ってはみたものの結局はバスに乗れなかったという状況もあるそうです。また、日本から台湾・台東に来る場合は、松山空港や桃園空港を経由しなければなりませんが、台湾の国内線に乗り換えて来る場合は、サーフボードを荷物として預けることなどの問題はありません。しかし、Yasuは「火車(台湾鉄道)は、サーフボードは持ち込めないんですよね…」と、こればかりは仕方がないとはわかりながらも少し落ち込んだ口調で話してくれました。彼は、もし日本から台東への直航便や火車へのサーフボードの持ち込みが可能になったなら、交通の便も少しは改善されて、もっとたくさんの観光客が東河を訪れると考えています。交通の制限がある現在でも、たくさんの日本人サーファーが東河を訪れています。Yasuは、これからもたくさんの日本の友だちにこの美しい海を紹介し続け、台東をサーフィンの聖地の代名詞として世界に広めていきたいと強く願っています!

 

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Cameron Hanson

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美しい山と海が交錯する東部では、豊富な地理環境と無限に広がる景色が季節移り変わりと日夜の様々な変化を楽しむことができます。初めてここを訪れたある人物が、まるで夢のような不思議な旅でもしたかのように、台湾・台東での旅行で人生の新しい目標と方向性を見つけ、今では、新しいスタートを歩んでいます。

 

Cameron Hansonは、小さい頃から芸術の色濃いシアトルで育ち、大学では芸術を専攻していました。旅行好きが高じて、30カ国以上の国を歩き回りましたが、アジアは未踏の地でした。「二年ほどかけて、どこで英語を教えられるか考え続けて、台湾のマルチ文化や小島の風情が第一の選択になりました。その他にも、日本、韓国、ベトナム、香港なども考えていましたが…」とCamは話してくれました。想定外だったのが、アジアの最初の土地として台湾旅行で台東を訪れたはずが、彼のゴール地点となり、Camは台湾・台東に住み着いてしまったのです。

 

「シアトルでの生活は、まるで牢屋にでもいるみたいでした。毎日、朝から版まで仕事に追われていて、窒息しそうでした。」と、Camは台東へ来る以前の生活を教えてくれました。台東へ来た彼は、運命の出逢いを果たします。そして、今までの生活スタイルを一新したのです。また、しっかりとした口調で「僕は、この台東で今までとは全く異なる生活ができることに気がつきました。お金はそんなにありませんが、ひもじい思いをすることはありません。だから、アメリカよりも、ここの生活の方がずっと好きです!」とも話してくれました。現在、彼はコーヒーショップのオーナーであり、フリーのカメラマンでもあり、そして一人の父親でもあります。一人で何役もこなす彼は「すごく忙しいけど、幸せです。」と笑顔を見せてくれました。

 

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晴れの日も雨の日も、同じ様に過ぎるルーティーンワークの日々に疲れきっていたCamは、そんな日々を抜け出そうと、自分のいた世界から勇気を出して飛び出し、今では、新しい人生の旅を歩んでいます。「台東に来た当初は中国語がうまく話せませんでした。でも、ここの人々はとても情熱的なんです。あるとき、一人でランチをしていた時に、一緒にビールを飲もうと誘ってくれたんです。暖かい天気の地方には、暖かい人々がいると誰かが言っていましたが、本当にそうだと思います。」とCamは話してくれました。台東人の暖かさは、暖かい気候とも少しは関係しているのかもしれません。インタビューをした日は、眩しいくらいの太陽の光が燦々と差し込んでいて、その暖かさがCamに台東で出逢ったたくさんの暖かい想い出を思い出させました。「一度、大切にしているカメラをバーに忘れたことがあるんですが、四日後にお店に探しにいったら、カメラがちゃんとあったんです。お店の人が、ちゃんと保管していて、僕が戻って来るのを待っていてくれたんです。」とCamは話してくれました。もし他の場所だったら、カメラはとっくに無くなっていたかもしれません。旅行客にとって旅行地区の安全は非常に大切ですが、その点、台東はとても安心できる旅行地区です。「台東人はとても優しいというのが、ここの第一印象です。」とCamは話してくれました。台湾に来た当初は、中国語がうまく話せませんでしが、奥さんの紹介で様々な場所から台東を訪れた友達と知り合うことができ、言葉の壁を乗り越えて現地の人々とコミュニケーションを取り合っています。この触れ合いも、彼の日々を楽しくしてくれるスパイスなのです。

 

「シアトルでは普通の生活をしていましたが、今の生活はとてもフレキシブルで、楽しいことがたくさんあってとても充実した日々を送っています。」東海岸公路にある「月光海咖啡屋」を一生懸命経営しているCamですが、暇さえあれば山や海の美しい景色を写真におさめています。台東の美と特徴は、生活には欠かせない元素の一つです。色々な角度から見ていると、思いがけない発見やサプライズを見つけることができるのです。美しい景色に、どこまでも無限に広がる土地は、人情味で溢れています。この人情味溢れた台東で、一万キロも離れたシアトルとの愛の物語が生まれたことで、Camの新しい人生が始まりました。未来は、何が起こるかわかりません。ですが、確かなことは、明るくポジティブな気持ちを持ち続けていれば、幸せはいつまでもずっとずっと続くということ、そして、楽しい出来事も、幸せな気持ちと一緒に必ず訪れるいうことです。

 

 

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Dan Paiero

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最近の台湾・台東は、陰気な雨が降り、ジメジメと湿気った空気を吹き飛ばす太陽の陽射しが恋しくなるような日々が続いています。高緯度の国から台湾へ来たDan Paiero氏にとっては、台湾東部の炎のように情熱的な夏は過酷なチャレンジでもありましたが、それでも彼の台東へ愛を阻むことはできませんでした。

 

「台東に住んで7年になりますが、以前は花蓮に住んでいました。花蓮よりも台東の方が好きですね。花蓮は、人が多すぎて、なんだか狭苦しくて閉じ込められているような感じがして…。」土地が大きく人口が少ない北の国カナダで育ったDanは、台東に定住してから改めてリラックスしてゆっくりと深呼吸ができる感覚を取り戻しました。

 

「台東に来て数年で、この土地に住もうと決意しました。ここが私の家です!」台東での歳月の中で、Danは英語塾で英語を教えたり、暇を見つけては絵を描いたり、また山や海で写真をとったりして過ごしています。原住民の文化にもとても興味があり、台東の山や山々の起伏、どこまでも無限に広がる大海原は、彼を虜にしてやみません。

 

「台東人は付き合いやすく、自分らしくいられます!」Danは、日本に旅行へ行った時の日本人の緊張感のある付き合い方に触れ、その後、台湾・台北、花蓮へ移り住み、少しずつリラックスできる感覚を取り戻し、台東へ移り住んで、やっと心からリラックスできる感覚を取り戻したのです。Danには、特に思い入れのある台東独特の人情味についての出来事があります。写真が趣味の彼は、よくカメラを担いであちこちで写真を撮っていますが、台東では10人に9人の割合で「手伝いましょうか」、「道案内しましょうか」と声をかけてくれる人々が沢山いるそうです。彼は、よく旅行客に間違えられるんだと苦笑していました。また、5年前に車で大武まで行った時に、カメラだけを持って出かけてしまい、身分証明書など一切持っていなかった彼は、パトカーに車を止められしまったことがあると笑いながら話してくれました。「パトカーが近寄って来た時、『しまった。身分を証明できるものが何もないぞ…』と困っていたのですが、警察は『スピードが速すぎますよ』と言っただけで、そのままパトカーに戻って行ったんです。そして、日焼け止めを取り出して、『ここの太陽は、陽射しがとても強い。この日焼け止めなら、日焼けしないですむぞ!』と日焼け止めを渡してくれたんです。」彼は、この警察の行動にとても感動して「世界でこの土地の警察以外に、このようなことをしてくれる警察は他にいない!」と思ったそうです。Danは、ここの人々は、見返りを求めずに単純に人助けをしたいと思っていて、この貴重なな光景こそが、台東の特徴の一つでもあると話しています。

 

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カメラを通して、Danは台東の原住民や民俗の特色を様々な角度から捉えています。「いくつかの部落の豊年祭に参加したことがあるのですが、近くから鑑賞しているだけのものがほとんどでした。しかし、ある豊年祭でみんなと一緒になって歌ったり踊ったりしたんです。その時、初めて豊年祭の本当の意味とその精神を理解したんです!」旅行客としてではなく、参加者として部落に入ることで、初めて原住民が毎年行う式典の神聖さと重要性を知ることができたのです。「炸寒単爺は台東のもう一つの唯一無二の特色で、すごくクールな行事だと思っています!」彼は、台東の元宵節では特に炸寒単爺の撮影に力を入れています。「私にとって、言葉では言い表せないくらい震撼する行事なんです。言葉で言い表せなくても、写真でなら、煙、爆発、人々を震撼させるこの気持ち…その物語を伝えることができます。」Danは、たくさんの写真を集結させ、炸寒単爺をテーマにした写真集を出版しました。この写真集には、もっとたくさんの外国人に、彼に衝撃を与えた台東民俗の特色を知ってもらいたいとの願いがこもっています。

 

人々を魅了する台東の特徴を細かく説明した後、Danは、この7年間の台東のグローバル化に対する努力を賞賛しました。もっとたくさんの外国人に台東の美しさを知ってもらおうと、台東地区の英語化は年々進んでいます。また、彼は原住民豊年祭のインフォメーションのバイリンガリズム化などを提案し、原住民文化に興味がある外国人が、もっと情報を得られるようにしてほしいと願っています。

 

「この台東での暮らしは、とても楽しいです。ここで暮らせば暮らほど開放的な気持ちになり、オープンマインドでいられます。これが、台東の魅力でもあるんです!」Danは、生きていれば煩わしい小さな出来事に遭遇する時もありますが、愛と希望を持って台東での毎日を過ごせば、それも心を満たす要素となると話しています!

 

Pete Brown

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どの地域にも必ずある行列のできる店があります。台湾・台東では、ピザ専門販売店の「披薩阿伯(ピザおじさん)」が台東グルメとしてネットで人気があります。

 

ピザおじさん本人にお会いするまでは、顔中シワくちゃのお爺さんだとばかり思っていましたが、目の前に現れたピザおじさんは、なんと、太陽がよく似合いそうなイケメンでした。彼は、申し訳なさそうに「子供を東河の学校へ送っていたので、遅れてしまいました…。」と約束の時間に遅れたことを謝っていましたが、その優しい声と眩しい笑顔は、想像していたピザおじさんとは全くかけ離れていました。

 

1999年、当時、まだ大学を卒業したばかりだった彼は、周りの友達が2、3ヶ国語以上の外国語が話せるのを見て、自分も第二ヶ国語を学ぼうと思いたち、「台湾は熱帯の小島だから、中国語を学ぶ以外にもサーフィンができるかもしれない!」と思い、台湾を訪れました。彼の考え方からも見受けられるように、Peteはサーフィンにとても興味があることがわかります。そして心の赴くままに、直感を信じて行動した彼は、いつしか東海岸のサーフィンの聖地に住むようになったのです。

 

Peteは、台湾に来た当初は台中に住んでいましたが、ある時、友達とサイクリング台湾1周旅行をしている時に台東を訪れた時に、台東のどこまでも続く美しい海岸線と壮大な山の風景に彼のハートは鷲掴みにされました。しかし、彼に台東に残ろうと決めた理由を詳しく聞いたところ、実は、運命の人に出逢ったことが本当の理由だと話してくれました。Peteの運命の人は、彼と同じ英語塾の先生で、彼らは仕事を通じて知り合いました。Peteは、運命の出会いを果たした台東に、奥様と定住することを決めたのです。彼は、大学で美術を専攻していました。ピザ店の壁に掛けられている幾つもの絵は、すべてが彼の作品です。Peteは修士課程も取得していて、卒業後は台東に戻り台東大学で教職に就こうと考えていましたが、残念ながら相応しい空きがありませんでした。Peteは、「仕事がないなら、ギャラリーでも始めてみよう、ギャラリーでピザを焼いたら、人が集まるかもしれないと思い始めたら、絵よりもピザが売れるようになってしまったんです!」と話し、話し終えると自分でもその結果に吹き出していました。人生には不思議なことがたくさん起こり、物事が思いの寄らぬ方向へ転び、彼はますます有名になっていったのです。

 

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実は一度、お客様とのコミュニケーション不足で誤解が生まれ、そのことが原因で台湾国内のニュースにもなったことがあり、ピザ店の存続危機に関わる事件が起こりました。彼は、当時を振り返りながら「通常、お客様がテイクアウトの予約をした場合、先に準備をしておいて、お客様が到着してすぐにオーブンに入れて3〜5分焼くのですが、あの時は、本当にコミュニケーション不足で誤解が生まれてしまいました。」と話し、このことが、Peteにお客様とのコミュニケーションの必要性を感じさせ、彼はもっと心配りをすれば、このようなことが起こらないと考えるようになりました。お客様にはピザを口に入れた時の食感と温度を楽しんで欲しいと取った行動でしたが、この行動が、誤解を生んでしまったのです。しかし、この事件の後、多くの人がPeteを励ましに訪れました。ある人は店先で、またある人はわざわざ店内に入ってきてまでしてPeteを励ましたのです。まさに、台東人が愛嬌のある人であることがよくわかる行動です!このような励ましのパワーのおかげもあり、Peteはこの事件を乗り切ることができ、今でも美味しいピザを作り続けています。

 

また、Peteは、台東に定住して十数年間の間に、彼の成功を目の当たりにした多くの外国の友達が台東で商売をしたいと思いながらも、何から始めていいのか分からず、みんながみんな、彼にアドバイスを求めにやって来ると話していました。「台東に、外国人専用の英語商業インフォメーションカウンターを設置すればいいんです!」と提案するは、台東を愛するもっとたくさんの外国人が、大木のように台東で根をおろして定住することで、マルチ文化の融合と交流を実現して、台東がもっともっと活力に溢れた場所になることを望んでいます!

Flight Café-福來東咖啡 (福長美千代)

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宿命、それとも運命だというべきでしょうか。人生のパズルは、はっきりとはわからないことが多いが、果敢に冒険をすることで、はっきりとした形が見えてきます。福長美千代さんは、夢を実現し始めた頃のことを思い出しながら「創業のアイディアが芽生える以前に、Flight Caféの名前がすでに脳裏にあったんです!」と可愛らしい笑顔で軽やかな声で、当初の出来事を話してくれました。元々は、台湾・台北で5年間仕事をしていた彼女でしたが、台湾列島一周をしにきた父親が、台東での滞在期間を非常に気に入り、彼女にも一度は台東を訪れてみるべきだと勧めていたこともあり、二、三度、台東を訪れた彼女は、台北の仕事を辞職し、台東へ移り住むことに決めました。

 

店主の気質が溢れ、個性溢れる温かみのある日本の雑貨風(Zakka風)がの明るくシンプルな雰囲気が漂うFlight Caféの店内は、ウキウキするような気分にさせてくれます。福長さんが夢を実現させたコーヒーショップですが、以前、困難に遭遇しました。「ニパルタック台風が通過し、コーヒーショップは大きな被害を受けました。そのこともあって、私たちはここに引っ越してきたんです!」仲間と友人の協力もあり、福長さんは台風にも負けずに、引っ越し先を見つけ、Flight Caféの再起に奮起し、真心のこもった料理を友達に振る舞い続けました。「私は、作ることが一番好きなので、どんなに辛くても嬉しいと思えるんです。」と彼女は話してくれました。日本人の細かい心遣いと謙虚な性格が、福長さんの性格によく現れています。事業の経営であろうと、台東での生活であろうと、彼女はいつもポジティブ思考で向き合っています。彼女が理想を追い続けられるのも、このポジティブ思考でいられるからなのです。

 

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台東に住む外国人で、日本人はそれほど多くなく、福長さんは台東には日本の友達があまりいません。お店がお休みの時は、家で天然手作り石鹸を作ったり、お店のメニューを研究しているそうです。福長さんは「日本の友達が来ると、山好きでも海好きでも、台東には行くところがいっぱいあるんです!」と話しています。そして、「例えば、コーヒーを飲みながらのんびり海を見たりするなら金樽に行けばいいし、もし、静かなところが好きなら三仙台に行くんです。」と教えてくれました。福長さんは、台東の自然風景を日本の友達に紹介する以外にも、部落の豊年祭に参加したこともあります。「原住民のお祭りがすごく好きで、彼らの伝統服飾にもすごく興味があります」と彼女は話しています。そして「私の父は、自分でバスに乗って花蓮から台東まで行くのが好きなんです。魚釣りが好きなので、父を海に連れて行って釣りをしたことがあるんですが、一匹も釣り上げたことなんかないんですよ!」と話し、話終わると自分でも吹き出していました。平淡に見える台東の日常も、福長さんにとっては、春風が吹くような素敵な場所なのです。

「台東は、日本の田舎とほとんど同じような感じで、親切で照れ屋な人もいれば、情熱的でアグレッシブな人もいます。台東に、もっとたくさんの特色溢れる商品と地元グルメがあれば、私の友達が来た時に日本に持ち帰って紹介することもできると思っています。」と彼女は話しています。たまに、ホームシックになることもありますが、また東京に戻って定住しようとは考えたことはないそうです。福長さんは、台東を日本の友達に紹介し、この地に住む全ての人々がこの地を愛し、美しい自然の景観を守り続け、台東の貴重な資産を残していきたいと願っています。両親のサポートの下、彼女は遠路はるばる台東の土地に降り立ち、夢の種を植え、すくすくと成長さえ、見事に夢を実現させました。そして、この台東の土地をこよなく愛し、自由気ままに快適な生活を送っています。彼女は、台東が長期滞在、永住に適した土地であること、そして、希望や夢を実現させる場所でもあることを証明してくれたのです!

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Jeff Pike

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“Happiness is the meaning and the purpose of life, the whole aim and end of human existence. —Aristotle”

古代ギリシャの哲学者、アリストテレスは「幸福は人生の意味および目標、人間存在の究極の目的であり狙いである。」という名言を残しています。これは、幸福感は、個人の想いのみが存在し、個人の内側から外側へ発せられ、平凡の生活を満たすものであるという「幸福主義」の理念からきています。

アメリカ・ジョージア州に生まれのJeff Pikeは、ハワイで教員として働いていましたが、イベントで台湾の友達と知り合ったことから、アジアへ冒険旅行を始めました。タイ、カンボジア、ベトナムを旅し、そして現在、台湾・台東へたどり着いた彼からは、幸せのオーラが溢れ出ていました。そのオーラはどこまでも広がり、人々を幸せの渦へと巻き込み、皆、彼との話しているうちに、彼から滲み出る幸せのオーラに包まれ、知らず知らずのうちに幸せな気分に浸っていました

初めてJeffに会ったのは2016年の11月の太陽の光が燦々と降り注ぐ午後、県長公館で開催された外国人open mic音楽会でした。彼は、花のバンダナを着け、ヒッピー風のスタイルをしていて、彼の明るい笑顔と素晴らしいオカリナの演奏も、いつまでも人々の心に響き続け、忘れられない印象的なパフォーマンスでした。

「台東はハワイと似ていて、とても気持ちがよくて、ハワイでの日々を思い出させてくれます!」とJeffは、ハワイの地図が描かれたマグカップを片手に、以前住んだことがあるカウアイ島を示しながら話してくれました。彼は、カウアイ島の山脈が海にまで続いていること、台東沿海、特に東河付近の風景がカウアイ島に非常によく似ていること、そして、台東の山峰の魅力、どこまでも広がる海、のんびりとした雰囲気に加え、新鮮な空気がハワイを思い出させてくれると話してくれました。

Jeffは、台東でも教育の仕事に携わり、最初は私立学校で教員として働いていましたが、現在では東海國中(東海中学校)と卑南國中(卑南中学校)の英語教師をしています。「台東の子供達はとても可愛いです。クラスごとのレベルの落差は大きいですが、それでもここで子供達に英語を教える生活がすごく好きです。」とJeffは笑って話してくれました。彼は、台東に居住してからすでに六年程経っていますが、中国語は一言も話せず、聞くこともままならない状態なので、生徒らは、英語でコミュニケーションを取らざるを得ず、これが逆に英語の学習の手助けとなっています。今年の初め、Jeffと七名の外国人教師らは、共同で外国人教師による山野イングリッシュ・ウィンターキャンプを開催し、子供たちを引率れ、2泊3日のイングリッシュイマージョンキャンプで、子供達が自然に英語を学べる機会を設けました。このようなイベントは、時間も気力も使いますが、子供達と触れ合える幸福感は、何にも代え難いもので、有意義な時間を過ごしました。台東以外に、Jeffは以前、台北や高雄にも住んでいました。大都市には、台東にはない生活上の便利性や多元な選択性がありますが、台東には、美しい山や綺麗な水、そして美味しい空気など、お金では変えられられないものがあります。簡単でピュアな生活が好きなJeffは、週末になると友達と都蘭糖廠の小さなバーに集まったり、息子を連れて体育館でサッカーをしたり、そしてたまに鉄花村でオカリナや太鼓のパフォーマンスをしたりしています。このような日々には、これと言った変化はありませんが、地道な安心できる生活でもあります。

Forest Park Lake swim,

Biking beside the ocean,

Home sweet home Taitung.

—Jeff Pike

この短い英語の詩では、Jeffの平凡な台東での生活の美しさと幸せ、そして心の拠り所、そこに「家」があると表現しています。

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ハワイ・カウアイ島の豆知識:カウアイ島(英語:Kauai,ハワイ語:Kauaʻi)、太平洋中部のハワイ諸島の第四大島に数えられ、アメリカハワイ州カウアイ郡の管轄下にあり、島の面積は1430.4平方キロメートル、人口58,303人(2000年統計)。 カウアイ島は火山島で、島の最高地点はKawaikini(海拔1598メートル)、二番目に高い地点はMount Waiʻaleʻale(海拔1570メートル)です。また、カウアイ島は、170キロメートルのカウアイ海峡を隔てたオアフ島の西北に位置しています。カウアイ島は、最後に夏威夷王國に加入した諸島の1つで、1810年までは、カメハメハ大王が島を治めていました。カウアイ島は、ハワイの大きな島の中でも位置し、ハワイ諸島の中でも最古の島であり、ハワイの最初の神様がこの島に住んでいたという伝説があります。この島は、「花園諸島」とも呼ばれ、多くの人々がカウアイ島の多くの植物や景色が他とは異なると認識しています。ここでの戸外スポーツは、どことも比べものになりません。カヤック(kayak)で壮大な火山懸崖の麓にあるナ パリ コーストを通過したり、公園で騎馬を楽しんだり、また、ヘリコプターでカウアイ島の驚くような風景を見たりできます。どのような方法でカウアイ島を遊覧しても、この島の美しさに興奮し、唯一無二の自然植物や鳥類に出会えます。カウアイ島は、サトウキビ、熱帯雨林、原始のビーチや海中の懸崖など、神秘な大農場が融合しているハワイ諸島の最古の島の1つです。553平方マイルのカウアイ島は、近隣の諸島では感じることのできない外界と隔絶され、時刻(とき)までも止まってしまうような雰囲気を体験で来ます。

 

Fedeフィード - 都蘭海角咖啡(Dulan Cape Café)

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「『風』が僕を虜にしたんです。」とフィードは力強く答えました。 多くの外国人が台湾・台東に留まる理由に、青く広がる山岳、きれいな海、」どこまでも広がる美しい風景、そして、人々の暖かさなどがありますが、台湾・台東の東北モンスーンを理由に挙げたのは、フィードが初めてでした。

金髪のイケメンオーナーのFede-フィードが切り盛りする都蘭海角咖啡(Dulan Cape Café)は、インターネットでも有名なカフェです。フィードは、「アルゼンチン生まれですが、1歳にはスペインに引っ越しました。でも、国籍はイタリアなんです。台東に来てから、もう2年程になります。」と笑って答えてくれました。フィードの生い立ちは複雑で、彼がどこの国の人であるのかは、上手く説明できません。彼が、初めて台東に訪れた時は、ショートステイだったのにも関わらず、2度目に台東を訪れた時には、都蘭でワーキングホリデーをしていました。また、その3ヶ月後には、そのまま台東の地に残ることを決め、流暢な中国語を使い熟すだけでなく、都蘭海角咖啡(Dulan Cape Café)を繁盛させ、すっかり台東人になっていました。

 

「僕の仕事は、夏場の仕事だったんです。以前は、スペイン、ニュージーランド、オーストラリアなどの国々をずっと転々としていました。」旅行で、たくさんの国へ訪れることは、多くの人が羨ましがることかもしれないが、フィードは、仕事で各国を5年も転々とし続け、その生活に嫌気がさしていました。「開発が進み過ぎた海は、好きじゃありません。この台東に来た時、東海岸はガラガラで、蘇花公路と花東公路を歩いていても、ウォータースポーツなんか見られませんでした。海と山がすごくきれいで、ここで試してみようと思ったんです!」フィードは、台東へ初めて来た時のことを思い出して、このように話してくれました。それは、たくさんの国を転々として来たフィードが、初めて“ほっとする場所”を見つけた瞬間でした。そこから、彼は、台東の地に残るための方法を模索し始めました。

 

Mark was teaching a studentフィードはが最初に目につけたのは、カフェではなく、台東のウォータースポーツでした。「台湾の人は、食べることは大好きだけど、海が苦手な人が多くて…。スパニッシュ料理は、たくさんの人が食べてくれたけど、ウォータースポーツは、あまり興味を示してくれませんでした。」台湾では、ウォータースポーツの人気がないことがわかった彼は、友達の紹介でキーパーソンとなる酆哥と出会いました。酆哥と出会ったことで、フィードはカフェを始め、少しずつ台東へ残る夢を実現させていったのです。

「酆哥は、まさにレジェンドです。彼と出会って、お互いの経営理念が同じだと気付いたんです。彼のおかげで、海角咖啡を立ち上げることができ、今では、営業時間にはお客さんで溢れかえるお店にまでなったんですよ!」と、フィードは嬉しそうに話してくれました。彼が、友達にこの場所でカフェを始めると話した時、ほとんどの友達は、首を横に振って、都蘭のほとんどのレストランは大通りでやっているのに、海角咖啡は、辺ぴで不便な場所にあると忠告しました。しかし、「僕は、宣伝はしていないんです。初めて来たお客さんが友達に紹介したり、人伝に聞いたり、たまに迷子になっていらっしゃるお客さんもいたり、それから、どこから聞きつけたのか、自分で訪れるブロガーもいます。テレビ局がくるようになって、どんどん繁盛しています!」とフィードは話しています。

海角咖啡が成功してから、フィードはウィンドサーフィンの授業を始める計画を立てました。「台東のサーフィンは、充分発展しています。僕は、安全なウォータースポーツを推奨したいんです。何年後かはわからないけど、たくさんの人が台東の海辺でウィンドサーフィンを楽しんでる姿が見られればいいなと思っています!」フィードは、ウィンドサーフィンは、健康的で汚染のないスポーツで、最大のメリットが、海洋生態系に影響を与えないことだといいます。彼は、台東独特の東北モンスーンについて「ここの風は強くて安定しています。冬と夏では、海風が違って、夏は初心者がサーフィン、ウィンドサーフィン、帆船をするのにもってこいで、冬は、上級者向けです。」と話しています。台東の存在を世界的に押し出すと同時に、彼は、発展観光では細心の注意を払わなければならないと忠告しています。「例えば、現在、バルセロナは観光客が多過ぎて、毎日のように物価が高くなったことに抗議する人がいて、交通がめちゃくちゃで、渋滞したり、観光客の横柄が過ぎたりと、増え過ぎた観光客が地元住民の迷惑になってしまっているのです!」フィードは、台東が人混みに溢れかえった騒がしい場所になってしまうことは望んではおらず、一度は訪れてみたい都市として、台東が持つ台東本来の美しさと自然を保ったまま、多くの人々に美しい台東を知って欲しいと願っています。

Mark

 

清水淳

ユートピアのような好山好水(山紫水明の意)の地という以外に、近年、台湾・台東が国際的に有名なものにサーフィンがあります。台湾・台東の東海岸が世界サーフィン選手の聖地となってからは、世界各地のサーファーが波を追いかけてこの地へ波乗りをしに訪れるようになりました。日本・東京から来た清水淳(Jun)は、台東にサーフィンに来ただけでなく、原住民のブヌン族の娘に恋をしました。今では、彼は、大好きな台東の地に貢献するため、この地にしっかりと根を張って生活をしています。

台東に来る前、Junは日本・東京のパブでギタリストと歌手をしていました。彼の弾き語りの技術は素晴らしいもので、台湾・台東へ訪れたのは、友達が台東布農部落で演奏してみないかと誘われたことがきっかけでした。布農部落の経営方式と考え方が気に入り、布農部落の日本語ウェブサイトとカタログの編集の仕事を手伝いながら、部落での日々を過ごしていました。部落での生活が長くなるにつれ、原住民の部落を訪れる日本人が観光客だけでなく、研究などに従事する人も多いことに気づきました。彼は、台湾へルーツを捜し求めに訪れた80歳ほどの「湾生(日本統治時代の台湾で生まれ、第二次世界大戦後に日本本土へ引き揚げた日本人)」を手伝ったこともあり、日本の年長者から何度も感動の物語を聞き、この地への想いを募らせて来ました。

 

しかし、なぜ台東に定住したのでしょうか?

 

「台東の人と景色が良かったんです。台東の全部が大好きなんです!」彼は、日本人ならではの訛りで、一番簡単で、ストレートな言い方で台東への想いを語ってくれました。

サーフィンの話になると、Junは目を輝かせ、「全世界のサーフィンのロングポイントは、自然によって生まれるのもので、人工的には作れないんです!」と熱く語り始めました。東海岸沿いのロングポイントの場所をよく知る彼は、よく自分だけの秘密のサーフィンスポットにサーファーを連れて行き、そこで思う存分サーフィンを楽しんでもらっています。日本からのサーファーは、言葉が通じることもあり、ほとんどがJunの民宿に宿泊します。日本からは、毎年およそ300〜400名ほどのサーファーが台東のイベントに参加しています。特に、東北モンスーンの季節は、風を味方につけて波に乗れるため、多くのサーファーを台東の虜にしています。現在では、東河でサーフィンをテーマにした民宿を経営しているJunですが、台東での創業当初は、苦労が耐えず、とても大変な思いをしました。「当初は、何をしてもダメでした。ここの人は、サーフィンを知らなかったので、宣伝が難しかったんです。」それでも、彼は、諦めずに一歩一歩前へ進み続けました。

 

Junは「台湾は海洋国家だけど、台湾の子供達は、日本の子供達と比べて水泳ができる子が少ないんじゃないだろうか?」と疑問を持っていました。3年前から、台東の子供達に海洋国家で悠々自在に自然と共に暮らしてほしいと、Junも参加する台東県衝浪協会(台東県サーフィンスポーツ協会)が「回到原點,深耕計畫(原点に戻ろう、深耕計画)」を始めました。このカリキュラムは、夏休みが始まるころから始まり、台東衝浪協会の指導の下、子供達に水泳、スケートボード、海辺の環境教育、阻止いて地元の生態イベントなどを開催しています。「今年は、子供達が歌を2曲教えて、子供達に鉄花村で発表会をしてもらいます!」とJunは嬉しそうに宣言しています。この土地を愛するが故に、この土地で生活する小さな苗に大きく育って欲しいと願い、彼らが成長していく姿を見ながら、自分が自然教育をしながら台東の地に恩返しができることに、Junはとても満足しています!

台東人の情熱、美しい自然の風景。Junは、私たちに、台東の貴重な資産が何なのかを教えてくれました。彼が台東に来てからの13年、台東の太陽の光、そして、波を追いかけながらも地道に歩んで来た日々は、すべて彼の動力です。これからも台東のために自分ができることをして、実際にアクションを起こし、この地に恩返しをし続けることが彼の願いです。

 

Mark — ニュージーランドのサーフィンコーチ

Mark

2017台湾オープン・オブ・サーフィンが12月3日に台湾・台東県の金樽海岸にて開催されました。この大会は、台湾・台東県の第7回目の国際サーフィン大会となりましたが、今年最大の見所は、台湾初のオープン・ワールド ロングボード チャンピョンシップ(WLC)が金樽海岸にて同時に開催されたことです。試合レベルは、過去最高のものとなり、金樽海岸では世界各地のサーフィン選手らが波の高さを競い合いました。

ニュージーランドから台湾・台東県へ移住し、現在、台東県でサーフィンのコーチをしているサーフィンを愛して止まないMarkにとって、この試合が開催されたことはとても嬉しいことでした。また、彼は「東河地区には、若くてサーフィンが上手なサーファーがたくさんいます。プロの訓練を受ければ、将来的には台湾代表として国際サーフィン大会で素晴らしい成績を収めるはずです!」と語っています。東部海域での長時間の観察を経て、Markは、台東県がこの自然を活かして、地元のサーファーを発掘し、サーフィン選手の育成に力を注いたほうが良いのではないかと考えています。

 

2002年、Markの台北ビジネス旅行が終わりに近づいたころ、人が少なく美しい海岸線があると噂の自然に囲まれた台東県を訪れようと思い立ち、彼は、その場で台北発花蓮行きの片道チケットを買い、花蓮から台東へバイクで向かいました。そして、気がつけば台東で2週間もの時間を過ごしていました。彼は、当時を振り返り「当時は、台東にはまだバックパッカーはいませんでした。民宿はもちろん、サーフィンの店も無く、海でサーフィンをしている人もいませんでした。しかし、友達はあっという間にできたんです!」と話し、そして、最後に「あの頃は、みんなお金を稼ぐことに興味がなかったのでしょう」と付け加え、笑っていました。台東での最初のめぐり逢いを思い出し、あたたかい気持ちになったのでしょう。その後、Markは、現在の奥様、Kiteと出会い、台東との結びつきをさらに深めて行きました。

 

Mark was teaching a student台東への短期訪問後、Markは再び上海、香港、そして台湾など各地を飛び回る日々を過ごしていました。その間、二人の子宝にも恵まれましたが、子供たちと過ごす時間が少なく、この忙しい生活が本当に自分の望むものなのだろうかと考えるようになりました。その後、Markはニュージーランドへ戻り、台湾・台東県へ定住を真剣に考えるようになり、最終的に、夫婦揃って台東県へと移り住み、今後の人生をこの地で歩んでいこうと決めました。「子供たちには、中国語を習ってほしいと思っていました。台東は治安も良く、ここの人々は親切な人ばかりで、生活しやすい場所です!」とMarkは話しています。もちろん、彼は大好きなサーフィンを忘れたりはしていません。台東県で英語を教えながら、サーフィンのコーチをし、また、自分の農地では、パーマカルチャー農法で野菜や果物、そしてハーブなどを育て、毎日を忙しくも楽しく過ごしています。「サーフィンは季節を選びます。もちろん夏場はサーフィンにはピッタリの季節ですが、冬場のサーフィンクラスは少なくなります。だから、自分の農地を経営して、母がニュージーランドで育てているハーブの育成方法を引き継ぎ、自然に近い生活を送りたいと思っています。」とMarkは話していました。

2002年から現在まで、Markは台東の変化をずっと目にしてきました。「現在では、多くの試合が台東で開催されるようになりました。以前はほとんどなかった民宿も、ホテルもどんどん増えています。私たちが台東へ越してきた当初は、ここでのビジネスをどのように展開してお金を稼ごうかと頭を悩ましていたくらいですから!」とMarkは話しています。彼は、少しずつグローバル化していく台東県をとても頼もしく思っており、また、これは台東県にとっての挑戦であると考えています。台東県の店や民宿業者が如何に観光産業で地位を築きあげ、かつ過度な商業化をせずに台東県の自然資源を守ることができる絶妙なバランスを見つけ出して発展を遂げること、そして将来的に台東県が海外旅行客を虜にし続けることができるかが重要な要素になります。

Mark

「教育も非常に重要なキー・ポイントです。子供が良い教育を受けられれば、もっとたくさんの人がこの地に魅力を感じ、定住を希望するでしょう。」台東へ引っ越してから、Markと子供たちが一緒に過ごす時間は増え、2人の子供たちは、サーフィンができるようにもなりました。また、「残念なことに、台東県の小学校でプールがある学校は1校しかありません。もっとたくさんの小学校プールがあれば、さらに良いと思います!」とMarkは話します。心の底からこの台東の土地を愛するが故に無限の願いや期待がどこまでも湧き続けるのでしょう。Markが非常に気にかけているのは教育分野です。しかし、何よりも彼が子供たちに伝えようとしているのは、どのように土地を尊重するかということと、そして大自然との和諧共存の核心価値についてです。この観念を共用することで、台湾・台東県がピュアで和諧的でありつづけ、また、台湾・台東県の独特な魅力をもっとたくさんの人々に知ってほしいと願っています。

 

森下雅子

「台東の生活は、本当に苦労ばかりです!」と、日本から来た森下雅子さんは話してくれました。雅子さんのこの言葉は、テーブルの上に注がれた冷たい麦茶が入った透明なグラスから滴り落ちる、まるで汗のような水滴のように、私に冷や汗をかかせました。「でも、今では台東が大好きです!」と微笑みながら話す雅子さんからは、日本の女性特有の優しさに溢れる気質が感じられました。

雅子さんは、友達の紹介で成功に住むご主人と知り合いました。当時、交際期間に成功へ旅行に来た時は、『絶対に結婚できない』と思っていたそうですが、ご主人の誠意と努力が彼女の心を動かし、彼女に、台湾へ嫁入りして家庭を作る決意をさせました。「台湾への嫁入りは、習慣に慣れなくてとても大変です!」と、雅子さんは言います。日本の大阪で生まれ育った彼女にとっては、賑やかで便利な生活が当たり前でした。結婚当時の台東には、故郷の味もどこにもなく、異郷の地に慣れようと努力していた彼女にとっては、それはストレスにも感じられました。「15年前、成功に嫁入り来た時は、ここにはコンビニもありませんでした。当時の台東には、コンビニは中華路に1軒しかなく、日本のものなんてありませんでした。」コンビニで売られているおにぎりを見て心を踊らせ、日本に思いを馳せながら頬張ったおにぎりは、故郷の味がせず、その切なさから、幾度となく涙を流したこともあったそうです。幸いにも、彼女は台東の果物がとても好きだったので、果物ばかりを食べて日々を過ごして多そうです。ご主人と雅子さんの二人で、わざわざ高雄まで車を走らせ、やっとの思いで日本の商品を購入しに行くようになり、ようやく彼女は心の落ち着きを取り戻し、ホームシックに陥ることも少なくなりました。

 

当初、雅子さんは、飲食問題に加え言葉の壁にぶつかり、心を閉ざしてしまい、生活の楽しさを感じられない日々を過ごしていました。しかし、ご主人が、クラッシックバレエを習っていた彼女に、『バレエを教えてみないか』と提案し、その励ましもあり、彼女は、成功地区の子どもたちにクラッシックバレエを教え始めました。すると、奇跡的に、バレエの授業を受けにくる子供たちが、閉ざされていた雅子さんの心の扉を開け始めたのです。「最初は、バレエを教えるのにも言葉の壁がありました。私自身も、まだ心の扉が開いていませんでした。その当時は、私が少し説明して、それを主人が子供たちに伝えるという方法でバレエを教えていました。」と、雅子さんは、当時を振り返りながら話してくれました。最初は、あまり気が乗らないまま始めたバレエの授業も、子供たちと触れ合っていくうちに、その楽しい雰囲気と、親御さんのサポートに、雅子さんの心境が少しずつ変わっていったと言います。また、毎年開催される子供たちのためのクラッシックバレエ発表会では、一生懸命練習を重ねて来た子供たちが、その練習と学習の成果を披露しています。「これは、子供たちへの評価です。発表会の衣装や舞台設計、音響などでは、親御さんも手伝ってくれるので、とてもありがたいです!」

 

それは、まさに一筋の希望の光のようでした。雅子さんは、この子供たちと出会うために、この成功の地へ来たのではないかと考え始め、この十数年の辛い思いは、やがて雲が晴れるかの如く消え去って行きました。 「今では、心境もだいぶ変わりました。最初は、台湾人を受け入れることができませんでした。ご近所さんがあまりにも情熱的で、慣れなかったんです。」日本人の観念では、訪問するときは、まず相手方にいつ何時に訪問するかを伝えてから訪問するのが普通です。しかし、この考え方は、台東の田舎町では通用せず、皆、思い立ったら相手方の家に上がり込み、話し込んでしまうのです。この台湾式の情熱に、雅子さんは拒否感を覚え、受け入れられずに長い間悩んでいました。雅子さんが台湾式の情熱を理解し始めたのは、二年前、日本の酒井充子監督が、「台湾万歳」のドキュメンタリーを成功で撮影したことがきっかけでした。酒井監督が、撮影の合間に雅子さんを訪れ、話をしたり、成功の地元の物語を見せたりしたことで、雅子さんは、少しずつ台湾人の個性、観念、そして人々の情熱がどのようにできたのか、その背景を理解するようになったのです。このことがきっかけとなり、雅子さんは、やっと台東の地元の友達と心から気持ちを通わすことができるようになり、その情熱にも拒否感を持たなくなりました。台東の地を、本当の意味で好きになり、生活が楽しめるようになったのです。

雅子さんが「今では、日本に帰るときには、友達には台東の袋をお土産に渡します。これは、友達にもすごく評判が良いんです!」と、台東市場で売っている赤、青、緑の模様が入った非常に便利な手提げ袋が、日本の友人に評判が良いと言うので、それが何なのかがあまりにも気になり、すぐにインターネットで調べたところ、雅子さんが言うこの手提げ袋は、現在、台湾でも話題性が非常に高い「茄芷袋」のことを話していたことがわかりました。なんと、この庶民的な手提げ袋が、雅子さんによって、最高のお土産として台東から日本へと渡っていたのです。

 

雅子さんは、まるで運命が成功の地に引き寄せられ、最初は、この地が受け入れなかったものの、今ではすっかり台東が好きになり、可愛い子供たちと舞台で踊り回っています。また、台日交流の部分では雅子さんの語学力も一役買い、2016年には、佐賀県太良高校と台東成功商業水產職業学校の交流も実現しました。彼女は、台東への愛を行動で示し、台東の子供たちの視野を更に広げ、子供たちがどこまでも続く広い空へと羽ばたけるようにしたのです。雅子さんは、笑顔いっぱいで、自信満々に「私は、台東の子供たちのためにこの地に来たんです!」と言ってくれました。

Simon Foster & Tot Foster

2017年の夏。台11線沿いに広がる海の青さと海岸沿いの山脈を覆う薄霧が、夏の熱気と北上する中、遠くイギリスから成功の町に移住したイギリスの家族がいました。

サイモンさん(Simon)とトットさん(Tot)は、イギリス夫婦で、二人の可愛い女の子、サーシャちゃん(Sasha)とモリーちゃん(Molly)と成功からそれほど遠くない村に住んでいます。太陽の光が少なく、年中温度が低いヨーロッパに比べ、台東には明確な四季があり、夏日の下では日光浴もでき、その時間は、至福のひとときとなっています。この家族を訪問した時は、ちょうど正午を過ぎた頃でした。人々が皆、クーラーの効いた部屋で避暑をするような時間帯にも関わらず、トットさんは、午後の暑さを全く感じさせずにコーラを片手に満面の笑みを浮かべ、玄関先の庇にたたずみ、私たちの訪問を待っていました。

 

彼女らは、長い間、台湾に住んでいましたが、高雄から台東に引っ越してきたのは、ほんの二年ほど前のことです。トットさんに、なぜ台東の地に定住しようと思ったのかと質問したところ、「台東の綺麗で静かなところ、そして自然に溢れたスローライフに惹かれました。特に、美しい海岸が大好きです!」と、弾けるような笑顔で、まるで考える必要がないかのように、台東に惹かれた理由をすぐに答えてくれました。そんなトットさんの隣で、母親の近くをせわしなく行ったり来たりしていたのは、現在、成功小学校の一年生の長女のサーシャちゃんでした。彼女は、クラスで唯一の金髪で青い眼をした外国の学生だったので、当初は皆の注目の的でした。「ここに住む外国人は少ないので、引っ越してきた当初は、地元の住民が、わざわざ車で玄関先まで私たちを見物しにきていたこともありました…。」と、トットさんは話してくれました。長い時間をかけ、隣人と付き合い、人々の好奇心を馴れ親しい関係に変え、今では、料理を交換する仲にまでなりました。トットさんの二人の娘も、東方の地元料理が大好きだそうです。トットさんは、少し悔しそうに、娘たちが中華料理好きで、サーシャちゃんもよく『学校のお婆ちゃんの料理が、お母さんのよりも美味しい』とよく言っていると話してくれました。サーシャちゃんは、学校での生活にもすごく馴染んでいて、友達と楽しく遊んでいるそうです。インタビューの合間に、サーシャちゃんに、台東のどこが一番好きかを尋ねてみました。すると、彼女は大きな青い瞳で瞬きしながら、首を傾げ、「三仙台、溫泉、東河包子、海辺……」と答えながら、いそいそと自転車で近所へと遊びに行ってしまいました。

 

トットさんとシモンさんは、旅行本の作家で、台湾のあちこちを旅行するのが好きで、台湾の英語旅行指南「The Rough Guide to Taiwan」を出版したこともあります。彼女らは、台東に住んだことがなかったにも関わらず、山と海の大自然に囲まれ、静かで和やかな町の成功の土地に定住し、新作の準備をしています。「台東には、原住民の豊年祭などの魅力あるものが沢山あり、ぜひ外国の友達にも紹介したいんです!」トットさんは、友達が原住民の伝統的な服装、歌や踊り、そして原住民の料理などに非常に興味があり、豊年祭に参加したがっていうることを教えてくれました。豊年祭の英語の情報は、まだ少ないこともあり、豊年祭に訪れる外国人が少ないのが現状です。もし、インターネット上の英語の宣伝が増えれば、もっと多くの外国人が豊年祭に興味を持ち、参加するきっかけになるかもしれません!

 

インタビューの時間も終わりに近づいた頃、次女のモリーちゃんが挨拶にきてくれました。モリーちゃんは、少し恥ずかしがっていましたが、お母さんに甘えるとすぐに、眩しい笑顔を見せ、そして、すぐに近所のお姉ちゃんを追いかけて遊びに行ってしまいました。トットさんは、楽しく遊ぶ娘の姿を見ながら、「ここに住めて、すごく幸せです。ここで、あの子達の成長が見られて本当に嬉しいです!」と感慨深く話してくれました。成功の小さな町で、目立つことなく楽しく暮らしているイギリスの家族は、台東の静かな環境と自然の美しさに包まれ、台東の暮らしや文化の違いを賞賛し、生活に満足しながら暮らし、台東人にしか味わえない幸福感を、日常生活の中で探し出し、体感しています。あなたにも、この幸せが感じられますか?

Amir Habib Shaikh

多くの人にとって、ターバンを巻き、服装が全く異なるムスリムは、神秘なベールに包まれた特殊集団と言えるでしょう。新聞や映画のストーリから、ムスリムについて表面上の理解をしている人もいるかもしれません。ムスリムの人口は、年々増え続け、今では17億人以上にもなりますが、台湾の住民にとってムスリムは、今尚、遠く離れた中東国家と同じくらい想像もつかない存在です。

宗教や生活のスタイルが台湾と大きな違いがあるのにも関わらず、ある1組のムスリム国際結婚夫婦がこっそりと台湾台東県へ移り住み、陰ながら精神的にこの地に貢献しています。Amir Habib Shaikhさんは、「台東の子供達がとても可愛かったので、『この子たちの力になりたい!』と思っのが、この地に引っ越すことになったきっかけです。」と話しています。

彼は、もう台湾で15年以上も生活しています。もともと台湾へは電子部品の仕入れをしに来ていたのですが、台湾の奥さんと知り合い、恋愛の末に結婚しました。当時、彼は、故郷のパキスタンと台湾を何度も往復していましたが、最終的に台湾北部に定住しました。ある時、家族旅行で訪れた台東で、その地の平和で落ち着いた環境と、その美しい風景にすっかりと心を奪われ、また、部落で出逢った原住民の子供達との触れ合いが、この夫婦に台湾の裏庭への移住を決心させました。Amir Habib Shaikhさんにとっては、この地は、落ち着いて平和な生活を過ごす以外にも、部落の子供に英語を教えることができるまさに最高の土地だったのです! 

イスラム教の食生活の習慣は、一般の習慣とはとても異なることもあり、台東のムスリムの人口は非常に少ないです。また、Amir Habib Shaikhさんは、「私たちは、毎日礼拝を5回しています。また、豚肉を食べたりすることも、飲酒をすることも禁じられています。これは、イスラム教の基本的な教えで、必ず守らなくてはならないルールです。」と,真剣に説明しています。彼らが台北から台東へ引っ越してからは、台北のムスリムの友達が、彼らに、この地で、ムスリムが安心して食べられるお弁当を作って旅行客へ提供することを勧めました。当時、台東地区には、まだハラール認証(注釈)のレストランがなく、彼もまた、よく台湾のムスリム旅行者が台東に旅行に来た時は、卵やドライフードでしかお腹を満たすことができず、とても大変だという話を聞いていました。

ヒンドゥー教のお弁当作りを始めてからは、少しずつ彼らに興味を持つ旅行業者が現れ、より多くのムスリムが安心して食事ができ、礼拝のできる祈祷室を提供できるハラール認証レストランの開設を望む声が更に増えました。Amir Habib Shaikhさんは、「ムスリムの人々にとってハラール寺は、家のような場所です。ハラール寺で礼拝することで、安心できるのです。」と話しています。台東には、沢山の教会やお寺がありますが、ハラール寺は一軒もないこともあり、ムスリムの台東観光を広めるのには少し難しい部分がありました。そこで、彼らは台9線上でハラールレストランをはじめ、イスラム教の教えを遵守した食品を作り、ムスリムの人々が台東で美しい景色を楽しめるだけでなく、安心して地元の食材から作られたハラール料理を食べられるようにしました。

台東の人里離れた部落の子供たちの世話をする以外に、Amir Habib Shaikhさん夫婦は、オンラインショップを立ち上げ、1000億ドルもの需要があるハラール市場にハラール認証を得た台東特産物を販売し、中東国家や東南アジアのヒンドゥー教の国家、良質な台東物産を知ってもらうことを目標にしていました。「台東市は、とてもフレンドリーで住みやすい都市です。私のムスリム友達も皆、ここに移住したいとは言いますが、この地にハラール寺がないことが、彼らを躊躇わせています。」Amir Habib Shaikhさんは、毎日、自宅で祈祷をしていますが、離れた土地から来るムスリム旅行客にとっては、ハラール寺がないことは、心の支えがないことと同じで、どうしても不便に捉えられてしまいます。これでは、ムスリム旅行客が、台東への旅行を躊躇うのも頷けます。「美しい東海岸に、台湾でもっとも特色のあるハラール寺を建設すれば、ムスリム旅行客は、こぞってこの地を訪れるでしょう!」と、期待に満ちた表情でAmir Habib Shaikhさんは話していました。Amir Habib Shaikhさんは、台東のレストランやホテルなどから接待環境を改善し、台東にもムスリム旅行客の波を引き寄せ、台東のフレンドリーさと人々の暖かさをヒンドゥー教の友達にも感じて欲しいと考えています!

 

注釈: ハラール認証清真認證(Halal Certification)は、イスラム法を起源とし

ており、ムスリムの日常生活における食品や体に触れる製品などは、イスラム教の教えを遵守していなければなりません。すなわち「ハラール」とは、不潔な物(例えば、豚やアルコール)を意味しています。「ハラール」は、ムスリムの食品や、体に触れる製品の原材料の規定が徹底しており、工場設備や製造機械、保管庫、物流、さらには小売り販売まで、原料から商品までの全処理がイスラム法に遵守していなければなりません。 (参考資料:https://asean.thenewslens.com/article/69733)

Bob Lasure

Bob Lasureは、2001年に志航基地へパイロットトレーニングシステムのエンジニアとして転勤してきました。台東へ来る前、Bobはこの地に対する知識は全くなく、ただの出張だと思っていたものが、台東の女性と恋に落ちて、そのままここで暮らすことになるとは思っていませんでした。

現在bobは自分自身の健康のため、そして故郷の味が愛おしい故に台東でアメリカのファストフード・チェーン店を経営しています。「ここのチャーハンも、ショーロンポーも原住民料理も僕のお気に入りでした。しかし今では体の不調もあって、残念ながら控えなければなりません。」脂っこいものはあまり食べられませんが、bobは行きつけのお店を紹介してくれました。料理が美味いといった理由以外に、メニューもポイントだそうです。

「これらのお店には英語のメニューがありますので、オーダーの際とても助かります!」少し不思議に思いながらも理解できなくはないことです。英訳版メニューが中国語のわからない観光客にはとても便利で優しいものだとわかりました。

そして台東の女性と結ばれた経緯にとても興味深く思いましたので、訪ねてみました。恥ずかしがり屋な面もあり、妻のVitaとの出会いについて伺った時、bobは照れ笑いしながら語りました。「ある日Vitaのご両親の電気屋へ買い物に行った時、英語が話せたのはVitaだけでしたので、そこで知り合いました。」そんなありふれた日常の出来事が、一生最愛の人との出会いとは二人とも思っていませんでした。

「台東の人はとてもフレンドリーで、いつも前向きに手を貸してくれるんです。」台東への印象は綺麗な海以外に、その暖かい人情であるとbobは讃えます。「15年前に台東へたどり着いた頃のことを思えば、英語を喋れる方もさほどいませんでしたが、道に迷ったりした時は、たとえ英語が話せなくても、たとえ仕事中であっても、熱心な台東の人々は必ずあなたを目的地へ送ってくれます!」

近年、台東は観光を売りに、その美しさを全国へアピールし、今では世界にも知られるようになりました。いろんな国際大会やイベントがこの景色が良く、空気もキレイなところで開催され、世界中の選手たちが対等に集まる機会が増えました。Bobが経営しているファストフード店も元は連休や決まった時期にだけ客が集まりましたが、今はマラソンやトライアスロンのおかげで彼のお店は外国人選手のお客さんが増え、政府が進めてきたこれらの大会が現地のレストランなどに実質的なものをもたらした証です。

子供の頃アリゾナ州の砂漠地帯で育ったbobにとって、台東は故郷よりも大きな町であり、彼にとっては十分都会らしいです。台湾の他の街に比べて、山と海とともに暮らせる東部はbobにとって気持ちのいい一番正確なチョイスであり、この先もっとたくさんの外国人が台東の美しさに気づいて、自分の身で台東の暖かさを味わって、一生の思い出を残して欲しいと彼は願います。

Tim Joel

東部台11線上に所在する都蘭村落は、外国人移住者が多いことで知られています。中には料理の腕が確かなフランス人のシェフや音楽に専念するオランダ人のギタリスト、手工芸品制作に長けたフランス人のアーティストなどがおり、それぞれが現地の文化を変えない前提のもと、平凡で素朴だった都蘭を賑やかに盛り上げてきました。

2010年の10月10日、台東へ遊びに来ていたイギリス人の画家Timは都蘭旧糖場付近にて、視界の利かない悪天候により木に衝突してしまい足の骨を折ってしまいました。本来この事故は彼にとって人生最大の危機のはずが、病院に送り込まれた時、彼は忘れ難い台東の女性と出会いました。その女性こそが後のTimの妻となる方であり、その当時は病院の看護師として勤め、二人はそういったきっかけで出会い最終的には人生を共に歩むことを決め、Timもただの観光客から住民になり、台東を離れることはなくなりました。

都蘭へ辿り着く前、Timは台北で生活しており、2002年より絵を描きながら台湾を巡り、初めて台東に辿り着いた時からここの美しい風景に魅かれ、台北に戻っても記憶の中の東海岸の絶景を忘れられず、台東へ移住することを決めました。「都会とは違った生活を送りたかったのです。台東の山や海、太陽そして天気まで、すべてが気に入ったので、絶対にここで生活すると決意しました!」と、とても聞き心地のいいイギリス訛りでTimは真剣に台東への熱意を語ります。「本当にここの人々や静かな環境が好きです。」芸術家たちが好むような、心が落ち着き、インスピレーションを活かせるような場所がここにあります。自然に囲まれた海辺の小屋、扉を開けばそこには広々とした太平洋があり、大自然の平和・ハーモニーや積極的なエネルギーはTimの作品にさらなる活気をもたらし自然な熱情が躍動し、一枚一枚の美しい作品が東部特有の景色に囲まれ完成されていきます。

台湾に来てからかれこれ10数年もの時間が過ぎますが、Timは自分の中国語が全く進歩していないことを自嘲し、近年台東での英語環境の整備の推進に対して、非常に喜ばしいことだと思いつつも、「逆にこちらに住んでいる外国人たちが頑張って中国語を勉強し環境に溶け込むべきだと思っています!」と、語っています。一般的に暗い印象のイギリス人とは違い、Timは楽天的な一面があり、自分のこの土地に対する熱意を絵画で人々に伝える一方、彼はインターネットで仲間を集めて都蘭のビーチ清掃活動に取り組んでいます。自分が家として愛して来た場所が、大量のガラス片や破けた漁網・ペットボトルなどのゴミにだんだん溢れていくことが見るに耐えなかったTimは、フェイスブックでONLY SOLUTIONSというイベントを立ち上げ、地元の多くのお店の方々やサーファー、観光客から多大な反響を得て、このイベントを通して人々にビーチの環境問題をもっと重視してもらいたいと願っています。この先都蘭に移住してくる外国人や既にこちらで暮らしている方に対し、お店を立ち上げてお金を儲けることだけでなく、このような形でこの土地のためになる実質上の努力もしてもらいたいと願うものです。

「私の両親はイギリスの都蘭に似ている場所で暮らしています。Mouseholeといった場所で、綺麗な海や緑にあふれる田園風景があるので、私の親も都蘭へ訪れた際はとても気に入ってくれました!」Timの都蘭に対する愛は遥か遠くのイギリスの家族までにも届き、ご両親は台東に訪れた際、沿岸のいろんな観光スポットにも足を運び、台東の美しき山や海の景色は彼らの心に焼き付けられました。そして都蘭の海辺がいつまでも美しい状態であり続けるため、Timはいまでも仲間を募集しながら綺麗なビーチを守り続けています。もし、都蘭に訪れた際に絵の具を持った外国人が海辺や麓で絵画しているのを見かけたら彼にエールを送り、都蘭の海のためにされて来た努力に感謝の気持ちを伝えてください。

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