フレンチと台湾・台東の出会いと衝撃
料理の新星現る

2013年、フルーツ&ベジタブルカービングの世界大会にダークホースが現れました。光り輝くようなカービングを作り上げた彼の名は楊伯偉、当時はまだ23歳でした。この大会後にも数々の料理の大会で金メダルを獲得した彼は、フランス・マルセイユのLe Petit Nice – GPrald PassPdatの支配人の経験も得て、僅か28歳で台湾の台東・長浜郷に自分の天地を切り拓き、食材を美しく細工するフレンチと長浜の自然溢れる原住民の食材を結合させ、世界級の料理の手法とその輝きを世界へ放ったのです。

彼の少年時代は、俗にいう鍵っ子でした。家に帰ってテレビを見ることしかできなかった彼は、当時、とても人気であった日本番組の「どっちの料理ショー」で紹介される数々のグルメの美しさに感激し、それが彼に料理人の夢を描かせるようになったといいます。高等職業学校、専門大学、レストラン、そしてホテルで専門的に勉強をし、修士号を得た後、彼は田舎で替代役(Substitute Military Service、台湾で実施されている服兵役方法の一つ)になることを選択しました。そして、彼は、自分の料理の腕前で現地の校長先生を説得し、料理教室を開設してとても簡単な料理で、食品・飲料業界への志を持つ学生を感動させています。

輝きを掴み続け
国際グルメの殿堂へ

二名の学生を引き連れて参加した第一屆臺灣國際美食廚藝挑戰賽(第一回台湾国際グルメ料理チャレンジバトル)では素晴らしい成績を收めました。その結果、料理教室の資金と教師群も確保できたので、楊柏偉は、計画通りにフランスへ3ヶ月の語学留学をし、そしてプロヴァンスのミシェラン・一つ星レストラン、La Bonne Etapeで一から修行を行いました。野菜を切ること、下準備など、すべてのことにおいて一つずつ真面目に取り組んできた彼は、すぐにミシェラン・三つ星を連続で獲得し続けているレストラン、Le Petit Niceを推薦されました。

それからは、家と仕事場を往復するだけの日々が続きました。毎朝7時から夜中の1時、2時まで、速さを求められる職場で、毎日、休むことなく何百匹もの魚をさばき続けていました。手は傷だらけになってしまいましたが、彼は包丁を持ち続けました。辛抱強く頑張ることは、基本中の基本でしかありません。彼は、料理の世界で生まれ持った才能と臨機応変さで頭角を現わしたのです。そして、6ヶ月後、彼は、この国際級フレンチレストランの初めての華人支配人に昇格しました。

食材と食客の対話
原点に戻り、料理の火を点ける

2017年、台東でホテルを買い取ったばかりの責任者であった李夫妻は、現地の人の紹介でわざわざ彼のいるレストランを訪れ、台東のホテルのシェフへ招きました。当時、彼はフランスでレストラン経営をする機会がありましたが、それを断って台東・長浜へ戻り、Sinasera 24を始めました。Sinasera 24には、大地という意味があり、24は節気を意味しています。半径40キロ以内の現地の食材を使うこと、そして、季節ごとのメニューの創作にこだわる彼の料理は、舌の上で食材が踊り、食べた瞬間にまるで台東の風景画が目の前に広がるようです。

「最高のシェフは、どんなに遠くにいる人でもレストランへと足を運ばせることができます!」これは、彼のフランスでの経験からくる言葉です。この言葉の通り、ここでは、彼は野菜を植えたりする時間もあり、自分の限界を次々に突破していける場所でもあるのです。彼は、「もし、私の作る料理で世界が台湾の台東・長浜郷に注目するようになったのなら、それで満足です。」とも話しています。

楊柏偉は、新しい融合を作り出し、長浜郷で料理のパラダイスを作り、そして、子供達の夢を育てています。

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